きょうのロサンゼルス・タイムズ紙1面で、アメリカ報道界最高の栄誉であるピュリツァー賞の詳細が伝えられていました。改めて「日米のジャーナリズムはずいぶん違うなあ」と思いました。
全部で14部門ある報道分野では、いわゆる「調査報道」や「解説報道」をはじめ、徹底的に深掘りし、真実に迫ろうとする記事が高く評価されます。「日本版ピューリツァー賞」新聞協会賞のように、日本的な特ダネ記事はまず受賞対象になりません。日本的な特ダネとは、単純化すれば「何もしなくてもいずれ発表されるニュースの先取り」記事です。
ピュリツァー賞の創設者は故ジョセフ・ピュリツァーであり、彼はコロンビア大学ジャーナリズムスクール(通称Jスクール)の創設者でもあります。今でも同賞の選考委員会はコロンビア大にあり、同大はアメリカジャーナリズムの中心的な役割を担っています。
たまたま、あすから4泊5日(機中1泊)の予定でニューヨークに滞在し、わたしの母校であるJスクールを訪ねます。「アラムナイ・ウイークエンド(卒業生のための週末)」に合わせて3日間のシンポジウムが開かれるので、そこで最新のジャーナリズム動向を調べておこうと思ったのです(実はこれをテーマにいずれ本を出したいと考えています)。
シンポジウムでは、「ピュリツァー賞の舞台裏」と題してピュリツァー賞の事務局長が講演するほか、Jスクール時代にわたしの指導教官であったニューヨーク・タイムズ紙の編集副主幹ジョナサン・ランドマン氏も講演します。
今年のピュリツァー賞では、最も格が高い「公益」分野で、「ラスベガス市内の建設現場で事故死がなぜ多いのか」を暴いたことで、地方紙ラスベガス・サンが受賞しています。この種のニュースは、「新聞が報じなければ永久に葬り去られる事件」の掘り起こしです。
日本の新聞協会賞のニュース部門では、「何もしなくてもいずれ発表されるニュースの先取り」という意味での特ダネ記事も受賞します。たとえば、当事者同士が合意済みの大型M&A(企業の合併・買収)を先取りして報じても、アメリカではピュリツァー賞の受賞は無理ですが、日本では新聞協会賞の受賞は可能です。
過去の受賞例を見れば簡単に分かることです。
わたしの古巣である日本経済新聞社は、2004年度に「UFJ、三菱東京と統合へ」で新聞協会賞を受賞しています。方やアメリカでは、M&Aが空前のブームを迎えていた1990年代後半、巨大自動車メーカーの合併(米クライスラーと独ダイムラー・ベンツの合併)が特大ニュースとして伝えられました。スクープしたのはウォールストリート・ジャーナル紙でしたが、ピュリツァー賞とは無縁でした。
ピュリツァー賞の報道分野にも「ブレーキングニュース(ニュース速報)」部門があります。ニュースの先取りに力点が置かれており、特ダネと似ています。しかし、全部で14部門あるうちの1部門にすぎません。一方、新聞協会賞は「ニュース」「写真・映像」「企画」の3部門で、特ダネを重視するニュース部門の注目度が圧倒的に高いのです。
もちろん、日本的な特ダネでも大変な努力が必要です。傾ける労力は調査報道などと変わらないでしょう。また、調査報道的な記事が新聞協会賞を受賞することもあります。一例は、2008年度に受賞した毎日新聞社の「石綿被害 新たに520カ所 厚労省は非公表」です。
とはいえ、日本では全体として「特ダネ至上主義」がまかり通っています。「いずれ発表されるニュースの先取り」をめぐり、大手報道機関の記者が夜討ち・朝駆けに想像を絶せるエネルギーを注いでいます。しかし、近いうちに発表されるニュースを特報することで、特報した新聞社の販売部数は増えるかもしれませんが、世の中が何か変わるでしょうか?
新聞記者は一般に高収入です。夜討ち・朝駆けのような肉体労働の対価として高収入を得ているわけではないはずです。本来ならば公益のために、「新聞が報じなければ永久に葬り去られる事件」の発掘に全力投入すべきです。そのために体力をすり減らし、疲弊するのであれば、記者も報われると思います。
裏舞台→舞台裏
入社試験に出題された記憶があります。
投稿情報: 僭越ながら | 2009年4 月23日 (木) 11:15
日本のメディアはアメリカに操作されているという風なことをよく聞くので、操作している人が埋もれてほしいことを埋もれさせるための操作の一環なのかもしれないなと思いました。
投稿情報: tadao | 2009年4 月23日 (木) 13:42
恥ずかしながら、再び訂正です。正しくは「舞台裏」です。第三者のチェックがないブログは、当たり前ですが、新聞や雑誌記事と違うということを痛感します。
実は、先週の木曜日から土曜日にかけてコロンビア大学で開かれていたシンポジウムでの主要テーマの1つも、そこにありました。
1つは、プロの記者が取材し、事実確認を徹底した記事。情報は正確ですが、非常にコストがかかります。もう1つは、コストが低く、だれでも情報発信できるブログ。当ブログのように誤字脱字もノーチェックで出てしまいます。このような2種類の情報がインターネット上で混在し、前者の存立基盤が脅かされている、という議論でした。
tadaoさん、真に独立したジャーナリズムの確立は永遠のテーマだと思います。シンポジウムでも「権力から独立したジャーナリズムは健全な民主主義に不可欠」という意見があちこちで聞かれました。
投稿情報: Yo Makino | 2009年4 月28日 (火) 06:30