今週は妻が勉強の追い込みで、毎日のように帰宅が夜9時過ぎでした。わたしは助っ人のおばあちゃんと一緒に子供たちの面倒で大わらわ。水曜日は長男を歯医者や散髪屋に連れて行き、まる1日仕事ができませんでした。
「やれやれ」とは思いますが、息子と過ごす時間も楽しいし、後悔していません。2年前に会社を早期退職する際に散々考えたことなのです。
会社員であったころ、平日に自宅で食卓を囲むことはまずありませんでした。独りで食べている場合を除けば、夕食の相手は会社の同僚か取材先。楽しかったと聞かれれば、それなりに楽しかったのは事実です。ですが、本当に意味ある時間を過ごせたかと聞かれれば、必ずしもイエスとは言えません。同僚とはジャーナリズム論を戦わせて有意義な時間を過ごすこともありましたが、同時に社内人事の話などで終始することも多かったからです。
自分が60歳を超えて会社を定年退職したら、かつての同僚や取材先に囲まれて余生を過ごすでしょうか? 彼らと一緒においしいレストランで食事したり、旅行に出かけたりするでしょうか? 自分が病気になったら、彼らが本気で心配し、病院まで駆けつけてくれるでしょうか?
そんな展開にはなかなかならないでしょう。仕事を通じて一緒に過ごした時間がどんなに長くても、結局は表面的な付き合いで終わるかもしれないのです。だとすれば、家族と食卓を囲む回数よりも、仕事仲間と一緒に食事する回数が多い状況は考えものです。
また、自分がベッドの中で臨終を迎えた時、何を基準にして自分の人生が充実していたかどうか判断するでしょうか? 会社の同僚と毎晩遅くまで飲んだことを振り返り、「自分の人生は楽しかった」と思うでしょうか? 会社の部長や役員になったことを思い出し、「幸せな人生だった」と納得するでしょうか?
会社を辞める時まで、自分が臨終を迎えた場面を想像してみました。何度想像してみても、結果はいつも同じ。ベッドの中の自分を囲んでいるのは元同僚や取材先ではなく、妻や子供たちでした。死の直前に人生を振り返り、走馬灯のように思い浮かぶ光景も、自分の親をはじめ身近な人たちだと思いました。手を握って歯の治療中の息子を励ましたことも、人生の貴重な一場面でしょう。
会社員であったならば、息子の歯の治療には付き合えなかったはずです。代わりに、会社の会議に参加していたかもしれません。サラリーマンなら分かると思いますが、仕事では無意味な会議が無数にあります。そんな会議に1日の大半を費やすこともあるのです。
家族との時間をほとんど確保できず、定年退職したら家では居場所がなく、”粗大ゴミ”扱いされる――。こんな男性サラリーマンをたくさん見てきました。子供には父親らしいことをあまりしてやれず、結果として子供からは見放されているのです。夫婦生活もないがしろにしていたから、妻とも疎遠になっています。
こんな話もあります。平日は馬車馬のように働いて、子供と顔を合わせることがほとんどない同僚がいました(実はそんな同僚が大半でした)。日曜日の就寝時間になると、子供から「パパ、来週になったらまた遊びに来てね」と言われたことがあるそうです。
臨終を迎え、自分の人生を振り返り、そのなかで家族と過ごした場面があまり出てこなかったら、寂しいと思います。会社の同僚と過ごした時間が楽しかったとしても、定年後には元同僚はおそらくそれぞれの人生を歩んでおり、ベッドの横で見守ってくれないでしょう。会社員でなくなった時点で関係が途切れている可能性が大きいのです。
個人的には、同僚や上司から立派な人間と思われるよりも、自分の子供から立派な人間と思われたいです。言い換えれば、「会社人間」として成功するよりも、「家族人」として成功したいです。
たとえば、会社で社長になり、業界内でも有力者になったとしましょう。そんなことよりも、子供から「お父さんは小さい時からいつも一緒にいてくれた。だから大好き」と思われたほうが、自分の人生にとって格段に重要です。会社を辞めれば、収入は不安定になり、激減する恐れもあります。でも、経済的にどんなに豊かになっても、妻や子供から見放されていたら、臨終時に「充実した人生だった」と思えないかもしれません。
不幸にも、日本ではサービス残業や休日出勤がなおはびこり、有給休暇の完全消化も徹底されていません。割増賃金率や休日出勤手当が低いため、社員に残業させたほうが会社の利益になるのです。国際競争力が低く、「欧米に追い付き、追い越せ」をスローガンにしていた高度成長期のままです。こんな環境下では、仕事と家庭の両立は難しいです。
わたしが会社を辞めた理由の一部もそこにあります。通常は、一家の大黒柱として安易に辞めるわけにはいきませんが、妻が「大丈夫。わたしが働くから」と言ってくれました。もちろん、わたしも働き続けますが、家族との時間を犠牲にして馬車馬のように働く計画は当面ありません。経済的に生活は厳しくなりますが、なんとかやりくりしていこうと思っています。
欧米では有給休暇の完全取得は労働者の権利として当たり前です。平日でも夕食時に帰宅するサラリーマンも多いです(アメリカでは高収入の会社役員や一部の専門職は馬車馬のように働きますが)。クレアモントでは、夕方5時以降になると、公園やレストランで父親も含め家族そろって行動している光景をよく見かけます。
「当ブログについて」でも触れていますが、少子化をくい止める決定打は、男性サラリーマンを会社に縛りつける制度や慣習を改め、男性の子育て参加を促すことです。女性が働きやすい環境を築くのはもちろん重要ですが、男性が家庭にいる時間を増やすほうが劇的変化を引き起こすと思います。
イソログで牧野さんのブログを知り、いつも楽しく拝見させていただいています。
私も1年前に子供が産まれ、ワーク・アンド・ライフ・バランスについて色々と悩みながらやっています。
確かに自分の臨終の場には会社の人たちはいませんね。我々日本の男性は、少々根本的に考えた方が良いですね。
現実の壁はまだまだ厚いかもしれませんが、私もできるだけ家族(妻・子)と一緒の時間を長くして、家族と一緒にいる時間を大切にしたいと思います。
投稿情報: tobihiro | 2009年5 月 6日 (水) 06:48
ありがとうございます。イソログの磯崎さんには、読者を増やしていただき、とても感謝しています。
会社を辞めた当初、解放感と同時に喪失感も味わいました。たとえば名刺がなくなり、戸惑いを感じました。でも、今では気になりません。
会社を定年退社し、名刺を新たに作る元サラリーマンは多いです。その名刺には、ある大手上場企業の社名とともに「元専務取締役」などと書いてある場合もありました。退社後も、会社という看板のない自分に不安を感じているようです。
投稿情報: Yo Makino | 2009年5 月 6日 (水) 12:22
人生の充実を何に求めるかというのは人それぞれだと思いますが、僕は牧野さんの考えが好きです。
投稿情報: tadao | 2009年5 月 6日 (水) 13:39