今でこそ長女のKは自分を日本人としっかり認識していますが、アメリカに住み始めた当初は違いました。昨年秋のことです。
「ねえ、パパ。Kちゃん(Kは自分ことをKちゃんと言う)はさあ、アメリカ人なの? それとも日本人なの?」
これにはびっくりです。
「どうしてそんなこと聞くの? アメリカ人だと思う?」
「へへへ。分かんない」
ちょっと話をして分かったのは、Kは自分のことを外国人だと認識していないということでした。
カリフォルニアは人種的に多様です。Kの小学校も例外ではありません。Kのクラスは20人ですが、いわゆるアングロサクソン系とはっきり分かる名字のクラスメートは数人です。ほかはヒスパニック系とアジア系が大半です。肌の色も様々です。
こんな状況に置かれると、確かに自分がアジア系の顔つきとアジア系の名字であっても、ぜんぜん不思議には思わないはずです。「みんなと同じだ」と思うことでしょう。
でも、みんなはアメリカ人。となると、今までは自分は日本人だと聞かされていたけれども、こっちに来たからにはアメリカ人なのでは……。きっとKもこんな発想になったのでしょう。ちなみに、隣近所にはKのクラスメートが4人住んでいますが、そのうち2人は韓国人で、1人はヒスパニックです。
そもそも、カリフォルニアに移住しようと思った理由の1つも人種の多様性にありました。カリフォルニアはヒスパニック系に加えてアジア系の人口も非常に大きく、黒人を上回っています。
日本人もアジア人ですから、「自分は外国人だ」と強く意識しないで済むのです。地元のスーパーに出かけても、アジア人は当然のように顧客として期待されており、不思議に思われることはありません。
わたしはかつてスイスに駐在したことがありました。スイスも外国人の比率が高いとはいえ、外国人の大半は「スイス以外のヨーロッパ人」。つまりほとんど白人でした。そこでは外国人としての自分を意識せざるをえませんでした。カリフォルニアではそんなストレスは不要です。
その意味で、「自分はアメリカ人なの?」と聞きたくなるような状況にKが置かれているということは、親としての狙い通りになっているということです。Kは外国人として自意識過剰にならず、地元に溶け込んでいるのです。
このような多様な環境で育っていけば、Kは「世の中にはいろんな言葉や人種がたくさんあるけれども、みんな同じ人間なんだ」という意識を自然に持ってくれることでしょう。
ちなみに、先日キアナがわが家に遊びに来ていた際、Kが突然キアナの髪の毛に触れて、「ねえ、キアナ。なんで髪の毛が金色なの?」と聞いていました。思わず笑ってしまいました。おそらく、「外国人=金髪」という発想がないからでしょう。
Kを見ていると、同質的な日本に住む外国人のことを考えてしまいます。韓国人や中国人ら同じアジア人も含めて、「自分は外国人だ」と意識しないでいられる在日外国人はほとんどいないのでは?
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