午後、玄関のドアが突然開き、小学1年生のレクシーが飛び込んできました。
「ねえ、K(長女のこと)はいる? 外で一緒に遊びたいんだ」
「まだなんだ。サマーキャンプに行っているから。あと数時間したら戻ってくるよ」
「そうなの? じゃ、また来るね!」
わが家は毎日がこんな感じです。つまり、近所の子供たちが自由にドアを開け、出入りしているのです。日曜日には、家族で近くの公園に出かけていたら、おじいちゃんとおばあちゃんが留守番中のわが家へ複数の子供たちが入り込み、数時間も遊んでいました。キアナやレクシーらKの友達です。遊び相手をしなければならなかったおじいちゃんとおばあちゃんは、へとへとになっていました。
まるで昔ながらの日本の長屋文化がここに出現したかのようです。長女も長男も毎日、大勢の友達と一緒に目いっぱい遊んでいます。中庭に誰もいないときには、集合住宅内の友人宅を順番にノックし、「遊ばない?」と聞き回っています。こんなに恵まれた環境に住めて、本当にラッキーです。写真は、中庭にできた水たまりで遊ぶ子供たちです。
今は夏休みですが、夏休み前の典型的な平日を紹介しましょう。夕方5時半ごろ、長女Kを小学校で、長男Aと次女を保育園でピックアップします。家に戻ると、KとAはスクーターを蹴ってすぐに飛び出していきます。中庭には大勢の子供が遊んでいます。中核はKのクラスメートのキアナ、ジェニファー、ローレンです。クラスメートではないですが、同じ小学1年生のレクシーやユージンも常連です。そこにそれぞれの兄弟姉妹らが加わると、すぐに10人以上になります。
さて、みんなの輪に入ったKとA。普通はそれからまるまる3時間、夜8時半ごろまで遊び続けます。夕食の時間も挟んでいますが、いつも20分ほどで完了。キアナがわが家で一緒に食べることもあります。中庭で子供たちは何をしているのかというと、大抵はスクーターに乗っているか、走り回っているかのどちらかです。とにかく広い中庭を存分に使って動き続けています。ブランコや滑り台は不要です。
東京に住んでいた時にも、できるだけ近所の子供たちと遊べるように工夫していました。でも、親同士が事前に連絡を入れ合って時間や場所を決め、しかも常に親が監視していなければなりませんでした。つまり、親が事前にお膳立てしなければならず、ハードルが高かったのです。数時間も友達と遊ばせるのはもっぱら週末でした。
放課後、仲良しの友達と毎日のように数時間も遊べるのは、子供にとって最高の環境だと思います。週末ならば一日中友達と遊び続けています。親にとっても特にお膳立てする必要がなく、気楽です。必要に応じて「今、キアナがわが家で食事しているから」などと、携帯電話のテキストメールを使って連絡を入れるだけでいいのです。
こんな環境にいるため、週末ごとに子供のために遊ぶ計画を立てる必要がなくなっています。子供にとっては、親にどこかへ連れて行かれるよりも、中庭や友人宅で友達と一緒に遊んでいるほうが楽しいのです。たとえ遊園地であっても、友達と一緒でなければ楽しいとは思わなくなっているようです。
残念なのは、ローレンが今月で引っ越し、来月にはキアナが引っ越してしまうことです。特にKはキアナと波長がぴったり合っているだけに、寂しくなりそうです。
おひさしぶりです。時々読ませていただいて、皆さんの様子を楽しく覗き見しています。
長屋文化に似ている-都市部ではもうその文化はなくなりつつある、ということでしょうか。子供をめぐる事件が多発し、またそれがこぞって報道されていることで、子供たちの遊びに大きな影響が出ていることは非常に残念なことですね。
本来、子供はどこでも遊べるものだと私は常々思っているので(つまりお仕着せの施設はいらなくて、何かあったら対応できる安心感さえあればいい=遊び道具は豊かな創造力と想像力さえあればみつけられる)、いまや日本の遊びに演出と調整という「仕事」めいた作業が必要になっていることにびっくり!
そういえば、大人もそうかもしれませんね。
あそびに乾杯!!
投稿情報: ganko | 2009年6 月24日 (水) 02:08
コメントありがとうございます。
東京にいた時は、放課後に大勢の子供たちが街中で駆け回っている風景はほとんど見かけませんでした。昔の東京では、友達と一緒にかくれんぼうや缶けりをしている子供がいくらでもいました。
現在の東京では、親が常時監視していなければ、子供たちを自由に遊ばせることもできなくなっています。遊べる場所は少ないし、車が行き来する道路の近くでは危ないからです。そんなわけで、多くの親は放課後に子供を塾へ通わせているようです。学童保育もありますが、小学3年生までです。
投稿情報: Yo Makino | 2009年6 月24日 (水) 06:01
急にふと思い出しました。先週東京駅の近くにできたホテル、シャングリラをコンシェルジュの方に案内していただいたのですが、客室にはフルーツとチョコレートが全室セットされていて-ここからが本題ですが、目についたのは、包丁スタイルのナイフ。
業界にいたこともあるので、これは画期的だと思い、コメントしたところ、「そうなんですが、スタッフの中で賛否両論なのです。危ないのではと。」
これに対しての私の答えは、「死にたい人はどんな道具を使ってでも死ぬから気にしなくてもいいのでは。」
わが身を守る方法を学ぶことこそがしつけであり、教育であり、そういう意味では、日本はここ20年迷走していると個人的には思います。
危険を察知する嗅覚は、子供からお年寄りまで、経験を重ねながら覚えないと、犯罪や事故は減らない。
たぶん、国防についても、同じことが言えると思います。
リーマンショックが日本にとって、世界にとって、最良のショック療法になるといいな、と最近は思ったり。。。
投稿情報: ganko | 2009年6 月26日 (金) 07:08