先週、コロンビア大学ジャーナリズムスクール(Jスクール)の同窓会に参加するため、水曜日から日曜日まで4泊五日のスケジュールでニューヨークへ行きました。金曜日から妻と次女も合流しました。卒業年次は違いますが、妻も同じコロンビア大Jスクール卒なのです。
不安が2つありました。1つは、妻が1人で生後11カ月の次女を連れて、無事カリフォルニアからニューヨークへ来られるかどうか。もう1つは、長女と長男がパパとママなしで2晩過ごせるかどうか。
結論から言えば、いずれも杞憂でした。次女は機中、大声で泣き続けるといったハプニングもなく、驚くほど機嫌が良かったそうです。ずっとママと一緒にいられてうれしかったのかもしれません。クレアモントの自宅に残った長女と長男も、助っ人のおばあちゃん(数週間前に助っ人がおじいちゃんからおばあちゃんへ交代)の言う事をきちんと聞き、就寝時に「ママがいられないと寝られない」とダダをこねることもなかったそうです。
おかげで、ニューヨークでは充実した時間を過ごせました。3日間に及ぶ同窓生向けのシンポジウムでは、興味深い講演やパネルディスカッションが多数用意されていましたが、ほぼすべてに参加できました。これほど長時間に及んでシンポジウムを真剣に聞いたのは、本当に久しぶりです。新聞記者時代でもあまりなかったことです。
ピュリツァー賞の事務局長やJスクールの学長をはじめ、わたしが会いたいと思っていた人たちとも名刺交換できました。「1988年卒です。将来的に本を書きたいのです」と告げれば、相手が誰であっても「いつでも連絡ください。協力しますよ」との返事を得られました。
うれしかったのは、ニューヨーク・タイムズの編集副主幹(deputy managing editor)を務めるジョナサン・ランドマン氏がわたしを覚えていてくれたことです。卒業してから20年以上も経過しているというのに、です。
ランドマン氏は、Jスクールでわたしの指導教官でした。Jスクールの中心プログラムは、スパルタ教育で有名なRW1(Reporting & Writing 1)。ランドマン氏担当のRW1はわたしも含めて学生数はたったの12人で、評判通りに実践重視の厳しい授業内容でした。同氏はCNN出身の助教授ジョアン・リー氏と組んでRW1を教えていました。
当時、ランドマン氏はニューヨーク・タイムズの国内ニュース担当デスクだったのに、今では同紙の編集ナンバーツーです。昨年、ワシントン・ポストの最高編集責任者レオナード・ダウニー氏が退任した際、後任候補としてランドマン氏の名前も挙がっていました。
補足しておくと、Jスクールは大手新聞社や通信社、テレビ局で働く現役の編集者や記者が多数「非常勤講師」として働いています。本業で忙しいなか、少ない報酬で教えているわけです。ボランティアとして働いているといってもいいでしょう。
シンポジウムでは、ランドマン氏は数百人に上る同窓生全員を集めた昼食会で講演しました。その間、妻が会場の外で次女の相手をしてくれました(次女は大きな声を出して、周辺に迷惑をかけそうだったのです)。講演後、ランドマン氏の所へ行きました。
「ランドマンさん、きょうの講演は良かったです。ところで、わたしのことを覚えていますか?」
「いや、ちょっと……」
「20年以上前、あなたが教えていたRW1の中にわたしもいたんですよ」
すると、ランドマン氏はにわかに微笑みました。記憶がよみがえったのです。
「わたしがジョアン・リーと一緒に教えていたRW1で? ああ、よく覚えているよ」
「今度、アメリカのジャーナリズムの現状についていろいろ教えてくださるとありがたいのですが」
「もちろん。名刺をあげるから、ここに連絡して」
日本の新聞社に勤めていても、ニューヨーク・タイムズの編集幹部に簡単にはアポは入りません。航空券やホテル代など費用がかさんだけれども、同窓会に参加して本当に良かった、と思いました。
その意味では、クレアモントで長女と長男の面倒をみてくれた義理の母、それに同窓会へ参加するよう強く勧めてくれた妻に感謝しなければなりません。
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