最近、平日の昼間は、次女が保育園を休んでいない限りは翻訳に集中しています。基本的にパソコンの前にへばりついています。締め切りが刻々と近づいているからです。正直言って、翻訳は忍耐力勝負の仕事です。
ジャーナリストの仕事は、事実を確認したりコメントを取ったりするため、人に話を聞くのが中心です。あちこちに電話するし、しょっちゅう出かけます。何かニュースが発生すれば、ただちに動かなければなりません。そんな仕事を25年近くも続けてきたから、翻訳の仕事(ここでは本の翻訳に限っています)には当初戸惑いました。
ジャーナリストが動的だとすれば、翻訳家は静的です。1日中パソコンとにらめっこで、テーマも毎日同じ。1時間もパソコンの前に座っていれば、通常は集中力が途切れます。コーヒーを飲んだり、雑誌を読んだりしてひと息入れるにしても、まる1日も翻訳に集中するのは難しいです。
わたしの場合、午前9時ごろから午後4時ごろまで翻訳の時間に充てています。昼食をはさんで実質6時間。午前9時前は子供たちを小学校・保育園へ送り出すので忙しく、午後4時以降は夕食を準備したり子供たちを迎えにいったりで仕事ができなくなるからです。
ただ、6時間まるまる確保できる日はまれです。保育園から呼び出しがかかることはしょっちゅうです。きのう(7月17日)もそうでした。また、スーパーで定期的に食材を買いに行かなければならないし、ほかの仕事を優先しなければならない場合もあります。そんなわけで、深夜と早朝も貴重です。早朝は5時前からです。
静的とはいっても、それなりにクリエーティブな部分もあります。翻訳に際しては基本的に日本語としての読みやすさを優先するので、意訳を多用するからです。理想的には、翻訳本を読んでいる読者に翻訳本だと感じさせないような訳を目指します。ただ、その場合、本の内容を正確かつ深く理解していなければなりません。
直訳は簡単です。辞書さえあれば、専門外の本でも翻訳できます。極論すれば機械でも翻訳できます。ですが、意味不明の訳になるでしょう。一方、意訳は機械にはできません。言うまでもありませんが、機械には本の内容は理解できないのです。
現在引き受けている本のテーマは複雑なデリバティブ(金融派生商品)です。専門的なテーマを扱っているわりには読みやすい本なのですが、専門用語は盛りだくさんです。難しい概念を扱っている箇所も多いです。こんなときにはジャーナリストとしての経験を生かします。つまり、取材するのです。
分からない点や疑問に思う点については、筆者に何でも質問しています。同時に、個人的に知っている取材先に意見を求めたり、インターネット上の情報を集めたりします。何が書いてあるのかきちんと理解できて初めて意訳できるのです。
思いっ切って意訳して、こなれた日本語を目指しても、思い通りになるとは限りません。特に原書の内容が学術的で、文章が硬い場合です。補足的な情報も盛り込み、自然な日本語になるように努力しているのですが、やはり限界があります。
それとは別に、固有名詞の表記も厄介です。わたしは、一般的に通用している表記方法を使うように心掛けています。インターネットでウィキペディアなどをチェックするほか、有料の記事検索システム「日経テレコン」に頼ります(ポケットマネーで契約)。登場人物の名前がどう発音されるのか分からない場合には、その人物が所属する会社へ直接電話を入れ、確認します。
意外とチェックがいい加減な訳書も多いのです。例えば、1980年代に「ウォール街の王者」と呼ばれ、金融界では有名なソロモン・ブラザーズの元会長ジョン・グッドフレンド。ある金融専門書で言及され、日本語に訳されましたが、そこでは「ジョン・ガトフェレンド」と表記されていました。
このようにジャーナリスト的な要素も入れながら仕事すると、単調になりがちな翻訳作業にも変化を出せます。電子メールを頻繁にチェックしたり、電話をかけたりしていると、気分転換にもなります。
1日中パソコンの前に座りながら、静的で単調な作業を続ける――。こう言うと、翻訳はつらい仕事に聞こえるかもしれません。ですが、それを補って余りある利点もあります。基本的に場所の制約を受けないのです。近所のスターバックスでも旅先でも仕事ができるのです。
この延長線上で考えると、住む場所の制約も受けません。南国の島に住んでもいいわけです。これは魅力的です。東京での通勤地獄から抜け出せずにへとへとになっているサラリーマンにはとっては、「場所の制約を受けない仕事」は特に魅力的に感じるでしょう。
もっとも、翻訳だけで食べていくのは簡単ではありません。わたしの場合、妻の卒業後の展開も不明です。ビザや教育の問題も考慮しなければなりません。今のところ、南国の島に住むのは夢物語です。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。