小学校2年生になった長女K。けさも元気で登校しました。校舎前で車から降ろすと、「バイバイ!」と言って走り去ります。別れを惜しむそぶりはこれっぽっちも見せません。
1年余り前の入学当初がすでに遠い昔のように感じます。初めての小学校で英語が一言も理解できず、涙の毎日だったとは信じられません。当時はわたしはブログを書いていなかったので、今回は入学当初の様子を振り返ろうと思います。写真は入学当初、長男Aの保育園横の芝生でスプリンクラーが動き出し、びしょ濡れになって遊ぶKとAです。
入学初日のことは今も鮮明に覚えています。初日ということで、学校は半日。しかも遊びだけでした。不安いっぱいのKを元気づけようとして、わたしは次のように言いました。
「心配しなくていいからね。ほかのお友達もみんな小学校は初めてだから。でも、英語が分からないよね。話しかけられたら『アイ・ドーント・アンダスタンド(I don't understand)』と言うんだよ。『アイ・ドーント・ノウ(I don't know)』でもいいや」
Kは「うん」と言うだけ。そこで、わたしは「ためしに言ってごらん」と促しました。すると、Kは「アイ・ドーント・アンダスタンド」ときれいに発音できました。
「上手じゃない! 最初はそれだけ話せれば十分。トイレに行きたいときは日本語と同じ。『トイレ!』と言えば通じるから、そう言うんだよ」
その日、お迎えに行くと、Kは満面に笑みを浮かべて「Kちゃん、きょうは大丈夫だったよ!」と報告してくれました。わたしと妻は「Kはしっかり者だから、心配無用だったね。さすがKだ」との意見で一致。
でも、とんでもない勘違いでした。ABCも知らないままで教室に放り込まれたKはその日、実際には涙をこらえてぎりぎりの状況で午前中を過ごしたようです。親に対してはやせ我慢で「大丈夫」と報告したのです。実際の授業が始まった2日目には我慢の限界を超えてしまいました。
2日目の午前中、担任のミセス・ビーから電話。
「Kがショックを受けて、泣き続けています。電話で少し話してください」
電話に出たKはただ泣くだけで、まともにしゃべれません。
「あのね……Kちゃんね……ママが突然いなくなっちゃったの……あのね……先生と一緒にお昼ごはん食べたいの」
どうやら、この日の朝に小学校でママとお別れする際に、ちゃんとさよならを言わないうちにママがいなくなってしまったようです。また、心細いからミセス・ビーと一緒にお昼ごはんを食べたいのに、その事を自分では伝えられずに、悲しかったのでしょう。
お迎えに行くと、Kは「きょうは8回泣いた」と言っていました。
3日目の朝は「学校いやだ~! 学校きらい~!」の連発。仕方がなく、ママが付き添いとなりました。つまり、教室内の後ろに控え、何かあったら対応できるようにしたのです。とりあえずはKは落ち着いたようですが、午前9時半にママがいなくなると再び大泣き。この日は早お迎えとなりました。
翌週以降は毎日、ママかおばあちゃんが教室内で”授業参観”することに。途中からおばあちゃんはわたしの義母から実母へ交代。結局、Kが「Kちゃん、もう1人でも大丈夫」と言うまでに、3週間はかかりました。一方、恥ずかしがりやで引っ込み思案の長男は意外と大丈夫でした。いきなり英語で算数の授業を受けさせられたKと違い、保育園のAは遊びだけだったからかもしれません。
Kが当初の試練を切り抜けるうえで大変頼りになったのが、隣に住む同級生ジェニファーです。昨年8月に訪米して最初にKの友達になったのがジェニファーで、小学校でもクラスメートとしてKと机を並べたのです。
ジェニファーは韓国人で、Kよりも半年ほど早くアメリカに来ました。昨年の夏、まったく英語を話せないKとあまり英語を話せないジェニファーが一緒にスクーターに乗って、近所で遊んでいる光景は微笑ましかったです。「子供は会話できなくても遊べるんだ」と改めて思いました。
ところが、ジニファーはKとは違う小学校に通っていました。Kの小学校に入りたかったのに、「定員いっぱい」という理由で違う小学校へ回されていたのです。
そこで妻が活躍しました。Kが入学して3日目、Kの担任ミセズ・ビーに「ジェニファーがKにとって唯一の友達。彼女と一緒に勉強できたらKも心強いと思う」と話したところ、「もう1人児童を引き受けても大丈夫」との返事。つまり、空きがあるということでした。
妻はジェニファーの母親、小学校の校長先生、市の教育部にかけ合い、その日のうちにジェニファーの転校を実現させました! 翌週からKとジェニファーは同じ教室で文字通り机を並べて勉強できるようになりました。(この時はまだ親友のキアナはKの小学校に転校しておらず、同じアパートにも住んでいませんでした。Kと同じクラスになったのは翌年からでした。)
ちなみに、当時のわたしは仕事で信じられないほど忙しく、教室内でKを見守ってあげることはできませんでした。「日経ビジネスオンライン」で連載コラムを続けていたうえ、プレジデント社の『市場の変相』の翻訳にも着手しなければならなかったからです。この点では妻に感謝しなければなりません。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。